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安くて可愛い服は通販で買うのがおすすめ!

女性の皆さんは服を買うときにどんなショップで買っていますか?
必ず実店舗で買っているという人もいるかと思いますが、ここでは洋服の通販について書こうと思います。
高級ブランドではなくプチプラブランドについてです。

ネット通販を行っているプチプラファッションショップというのは本当にたくさんあるのですが、当然ショップごとに特徴が異なっています。
扱っているファッションの傾向・系統やメインターゲットにしている年代などがショップによって違います。
この記事の最後に、安くて可愛い服が買えるおすすめ通販ショップを紹介しているサイトを明記しておきますので、ショップ選びの参考にしてください。

まず、通販で服を買う利点についてですが、

  • 時間を気にせずに買い物できる
  • 複数ショップ・商品を簡単に比べることができる
  • スマホがあればどこにいても買える
  • 豊富なコーディネート例を参考にできる
  • 他人の感想・レビューを参考にできる

このようなところでしょうか。

通販であれば夜中でも早朝でも関係なく商品を選んだり注文したりできます。
通販サイトがメンテナンス中でもない限り24時間いつでも買い物可能です。

そして、いろいろなショップの商品を比べてどこでどれを買うかを決めるというのも実店舗だと大変ですが、通販なら簡単です。

スマホがあれば家にいても学校や会社にいてもちょっとした暇な時間を使って買い物できるというのも通販の利点の一つです。

それから最近の人気のファッション通販サイトはモデルさんを使ったコーディネート例がたくさん提案されています。
たとえば、実店舗でたたんだ状態で陳列されているブラウスを見ても、どんな服装に合わせるかをその場で自分の頭の中だけでイメージするのは難しいと思いますが、通販ならコーデ例の写真を見ながら考えることができます。
もちろん写真のコーデをそのまま真似するのもいいと思います。

そして、これはショップによって結構違ってくるのですが、商品に対する購入したお客さんの感想・レビューが豊富なショップというのもあります。
「写真だと黒っぽく見えたけど実物はブルーっぽかった」とか「写真ではペラペラな素材に見えたけど実物は結構がっちりとした厚手の生地だった」とかそういった購入者の感想を参考に買うこともできます。
ショップによっては試着したショップスタッフの感想を載せているところもあります。

通販だと実物を手に取れない、試着ができないなどの理由で敬遠していた人もいるかもしれませんが、通販で買う利点というのもこんなにあります。
プチプラブランドならたとえ失敗しても金銭的なダメージは少ないので、ぜひ通販を活用して欲しいと思います。

では、おすすめレディースファッション通販ショップを紹介しているサイトのサイト名とURLを二つほど明記しておきます。

【サイト名】安くて可愛い服が買えるレディースファッション通販サイト教えます!
【URL】http://xn--n8jva3erm0dqd4mses416a64pj6n9zqel9inck.com/
【サイト名】レディース服通販安い|おすすめの人気ファッション通販サイト
【URL】http://xn--n8jtkkc9bykudw447a2ita1l1fygh.net/

出来てしまったシミに使うハイドロキノン配合クリーム

できてしまったシミ用のクリームというものは病院に行かなくても購入することができます。
その中でハイドロキノン配合のものとそうでないものがあります。
ハイドロキノンは肌への影響が大きいことから、2000年代になるまでは日本ではコスメにハイドロキノンを配合することは禁止されていました。
海外では今でもハイドロキノンのコスメへの配合について規制されている国もあるみたいですが、日本では決められた濃度などの基準を満たしていればコスメに配合することもできるようになりました。
ハイドロキノン配合クリームを使う場合にはいくつかの注意点があります。

  • 肌の目立たない場所に試し塗りをして、異常が出ないかどうかパッチテストを行う
  • アトピーなどの肌疾患がある人は医師に相談してから使用する
  • なるべく紫外線の弱い夜に使用する
  • 使用期間中の外出時には、普段以上に紫外線を避ける
  • 一か所への長期にわたる連続使用はしない
  • 酸化による劣化を避けるため、開封後はなるべく早めに使い切る

このような注意点があります。

ハイドロキノンが入っていないシミ用クリームというものもありますが、ハイドロキノン配合のシミ用クリームを使ってみたいという人はこれらの注意点をよく守った上で使用してください。
市販のハイドロキノン配合シミ用クリームには「プラスキレイ プラスナノHQ」などがあります。
参考:出来てしまったシミに「プラスキレイ プラスナノHQ」

プラスキレイプラスナノHQはハイドロキノン4%配合で、1ヶ月で使い切れる小さめサイズになっています。
同一箇所への連続使用は6ヶ月まで、妊娠中・授乳中には使わないようにという注意があります。
ハイドロキノン配合シミ用クリームが初めての人でも試しやすい商品なのではないでしょうか。

オイリー肌さん向けの部分用化粧下地

オイリー肌さん向けの化粧下地に、いろいろなところで販売していて手に入りやすい「エテュセ オイルブロックベース」という商品があります。
容量はたった7mlと少ないのですが、付属のブラシでTゾーンなどのテカリが目立つ部分に塗る、部分用の下地です。
この商品はネット上では結構評判も良く、まとめ買いをしている人もいたのですが2016年に私が確認したときにはもう廃盤商品となっていました。
しかし、最近になって公式サイトを確認してみたところ「期間限定」で再販されていました。
期間限定ということはしばらくしたらまた販売終了になってしまうのだと思いますが、オイリー肌のテカリ対策で部分用下地を探していた人は一度試してみる価値はあると思います。
外出先などでファンデーションの上から塗りなおすこともできます。

参考サイト:オイリー肌の化粧下地に「エテュセ オイルブロックベース」

オイリー肌さんは普段から脂取り紙を持ち歩いていると思いますが、顔の皮脂はあまり頻繁に取り過ぎるのもよくないらしいですね。
顔の皮脂というのは本来肌を守るバリアのような役割があるので、適量の皮脂は残しておく必要があるそうです。
だからあまり頻繁に皮脂をとっていると体が皮脂不足と認識して、さらに皮脂が過剰分泌されることもあるということです。
これは洗顔でも同じで、洗浄力の強い洗顔料を使って一日に何度も皮脂を根こそぎ落としていると、オイリー肌には逆効果になってしまいます。
そしてもう一つ大切なのが保湿です。
洗顔後の保湿を怠ったことにより肌が乾燥状態になると、肌を守るために皮脂が過剰分泌されてしまいます。
そのため、保湿も十分意識する必要があります。

宮本百合子その2

 眠った家々の屋根や、動かない樹々の重い梢々が、高い透明な大空の穹窿(きゅうりゅう)の下に、見えない刻々を彫みながら、少しばかりずつ、地殻の彼方へずり落ちて行くような感じを与えた。樹蔭の闇から月光を反射する窓硝子や扁平な亜鉛屋根の斜面が不思議に悒鬱(ゆううつ)な銀色で、あたりの闇を一層際立たせ、同じような薄ら寒い脊骨を刺すような光線は土に四本並んで這う鋼鉄の線路からも反射しているのである。線路の傍に小さく建った番小屋の傍まで来ると、今までWに体を持せかけるようにしていたマーガレットは、急にぱっちりと眼を見開きながら身を起して、
「好い月ね」
と云った。広い鍔の陰から、丸い顎を仰向けるようにして朗らかな天を仰だ眼を落すと、彼女は、ちょっと眉を顰(しか)めるようにして、彼方に光っている鈍銀の窓々を見た。
 静かな晩――W、汽車は大丈夫?
 マーガレットのこの質問は、決して無意識ではない、彼等はもうさっきから、軌道(レール)の上に響いて来る、重い威圧的な機関車の音を聞いていたのである。Wはちょっと頭を廻して提灯の灯ほどに見える赤い前燈(ヘッドライト)と踰(こ)ゆべき軌道の幅とを見較べた、が、それだけの注意さえ、このときの彼には何となく滑稽に思われたほど、動いて来る燈と軌幅との差は大であった。不安を持とうにも、持ち得ないほど大きな差である。自分達の若い、健康な四本の脚が、この悦に満ちた晩に、どうしてこのたった五尺前後の空間を横切れないことがあろう。彼は、マージーの臆病を揶揄(やゆ)する少年のような声を挙げて、高々と笑った。
「大丈夫さもちろんマージー、さあ行こう」
 Wに腕を扶けられながら、彼女はまたちょっと頭を傾けて彼方に流眄(ながしめ)を与えると、そのまま良人の自信に絶対の信を置いたような歩調(あしどり)で動き出した。そして、ファミリアな無関心の二三歩を踏んで、その次を運び出そうとした瞬間、彼女は小さい声で、
「おや」と云いながら、前へ行こうとした良人の腕を押えた。
「どうした?」
「ちょっと……」
 マージーは、彼に委せた右の腕にグッと力を入れながら、体を浮かせるようにして、不自然な形で後方に残った左足を前へ引こうとした。
「どうしたのマージー」
「踵(かかと)が挾まったらしいの」
「踵が挾まった? どこへ」

 これまで、日本のすべての人は、食べるということは、自分の力で、云わばめいめいの分相当に解決してゆくべき「わたくしのこと」として教えこまれ、習慣づけられて来ました。とくに、そのやりくりは、主婦の責任という風に考えられました。人間が、どう食べているか、ということが、一つの社会にとって重大な問題であるという、公の立場から考える習慣はもっていません。そう考えるのは、社会主義のものの考えかたであるとして、むしろ取締られて来ました。

 食物の問題を、この社会にとっての公の問題としてとりあげれば、処罰されかねなかった習慣の中で、物が無くなったからと云って、どうして急に、その解決だけを、公の方法に立ち、社会全体の規模から、解決してゆこうという気持になれるでしょう。本来は、公ごとであるべき、食べることの問題を、こっそりとして、侘しい「私ごと」、女の台所の中のこととして来た、公私さかさまな習慣が、今日のところまで食糧事情を悪化させて来た一つの動機でさえあるようです。

 目下の日本で、最も切迫した公の問題は、食糧危機をどう突破するかということですが、代議士たちの大多数は、これに対してどういう態度をとっているでしょうか。つい先頃の総選挙のとき、三合配給などを公約した候補者について、選挙が終ってからすぐ、新聞社が、三合配給の公約をどうするか、という題目で質問しました。すると、三合配給の公約はしない、現在二合一勺を確保すると云っただけだという答や、「俺は知らんよ」と、まことに鷹揚な首領の返事や「それは落選候補の公約であった」という名回答もありました。

 日比谷の放送討論会などの席上では、大変賑やかに食糧事情対策が論ぜられます。野草のたべかたについての講義――云いかえれば、私たち日本の人間が、どうしたらもっと山羊に近くなるか、とでも云うようなお話まで堂々とされます。これは公の席で、公の議論としてされているのです。

 もし、今日の食糧事情が、真に公の問題としてとりあげられているならば、政府はどうして土地問題の解決というような、根本の、公の方法から、徹底させてゆかないのでしょう。一人一人の財布ではもう背負い切れない負担である「わたくしの方法」買出しに打開策をまかせてみたり、又おどろいてやめさせたりばかりしているのでしょう。
 真に公の声である全日本の人々の、生きて働けるだけ食べられるように、という声に心を合わせて、人民が自分たちで責任をもって食糧の管理をやって見ようという、公の方法に、賛成しないのでしょうか。
 ここでも、公のことと、私のこととが全くさかさまになっております。

 朝子と素子とヴェルデル博士と三人で、二哩ばかりはなれた野の中に建っている廃寺へ壁画を見に行って、ぐるりとその堂の裏手へまわったら、思いがけない灌木の蔭でその技師とエレーナと腕を組み合った散歩姿で来るのに出くわした。どっちからも、もう避けることが出来なかった。するとエレーナがはしゃいだ高調子で、
「思いがけないこと!」
 そのまま真直近づいて来た。
「お邪魔になりまして?」
 ヴェルデル博士は黒い帽子の縁にちょっとふれて、極めておだやかなうちに一抹の苦みをもって、
「私には誰が誰の邪魔をしたか分りませんよ」
 技師にも会釈して、こちらの一行は行きすぎた。そんなこともあった。
 土曜、日曜には、全くちがう若々しい波が停車場から溢れ出て、美術館を中心の一公園から街路から一杯になった。下宿の露台から見える公園の入口の歩道の上には向日葵の種売り、林檎売り、揚饅頭売りが並んだ。終日、髪をプラトークで包んだ若い娘たちや運動シャツにちいさい高架索帽を頭にのせた若者、赤いネクタイをひらひらさせた少年少女が列をつくって通ったり、二人三人づれで行ったり来たりした。空気は微かに鼻をくすぐるように暑く埃っぽくなって、声量のある笑声や歌声、叫び声や駆ける跫音などがその中へ溶けた。
 朝子は露台から長い間そういう光景を見ていた。その溌剌とした、粗末な服装をした若者たちの動きのなかには、いかにも朝子の情愛をひく何かがあった。見ているうちに、急に涙がつきあげて来ることもある。若い保がもっていたそのような単純な気持のいい身振り、そのような罪のない大笑いがそこにあった。生きて、無心にそこに溢れているのであった。保は死んだ。何たる思いだろう。

宮本百合子

 この選集第十一巻には、四十二篇の文芸評論があつめられているが、特徴とするところは、これらの四十二篇のうち、二十七篇が、はじめてここに単行本としてまとめられたということである。久しい間、新聞や雑誌からの切りぬきのまま紙ばさみの間に保存されていたものが、はじめて本として生れ出ることとなった。
 この評論集に書かれた内容、書かれざる内容をもたらしている八年の歳月は、プロレタリア文学運動が挫かれてのちの日本現代文学が、戦争の拡大と強行の政策に押しまくられて、爪先さがりにとめどもなく、ファシズムへの屈従に追いこまれて行った時代であった。歴史とともに前進する批判精神を失って沈滞した文化・文学の上に、さも何かの新しい発展的理論であるかのように精神総動員的な全体主義文化論が提唱されて来ていた。文学は、当時の軍人、官吏、実業家の中心問題をその中心課題とすべきだという「大人の文学論」(林房雄)。客観的には、批判の精神を否定して、「知らしむべからず、よらしむべし」の全体主義文化政策に知識人が屈従するための合理化となった「文化平衡論」(谷川徹三)。「文学の非力」(高見順)という悲しい諦めの心、或は、当時青野季吉によって鼓舞的に云われていた一つの理論「こんにちプロレタリア作家は、プロレタリア文学の根づよさに安んじて闊達自在の活動をする自信をもつべきである」という考えかたなどについて、作者は、ひとつ、ひとつ、そこにひそめられているファシズム文化政策への追随の危険をえぐり出そうとしている。

 こんにち、日本の人民生活全体のおかれている悪条件は、もっともきびしい形で女性の生活に反映している。しかも、苦しいことは、若い少女の感情を不安定にし、荒びさせている社会悪の諸条件は、家庭の妻に、働く婦人のすべてに、未亡人をふくむすべての母の生活に深刻に作用していて、きょうの日本の女性の問題を現象的におっかけて見ても、ほとんどそれとしては解決のめどもないように思えることである。人民生活のごまかしようのない逼迫は、あらゆる女性の問題を、むき出しに社会問題として、半封建の特権者によって行われているファシズムへの傾きをもつきょうの政治の破綻としてわたしたちの毎日にほこさきを出しているのである。女性の風俗、モードの問題ひとつをまじめにとりあげても、こんにちではそこに、日本の流行が植民地的な文化趣味に従属させられてはならないという課題が立ちあらわれる。同時に、日本の独自性というものが一般の関心をひいている現在を利用してふたたび、超国家主義的な感情へ、戦争準備的な方向で「日本」を復活させようとするファシズムの明らかな意図と、しっかりたたかわなければならないという必要がおこっている。戦争によってこれだけ深い犠牲をはらった全日本の女性の、将来の戦争と再びはびころうとしているファシズムへのつよい反対がないならば、女性の苦痛にみちたきょうの生活そのものが打開されてゆく道はまったくないのである。

 ところが、或る夏の日、あたり一帯もの凄い音響がして、やがて死んだようにしんとなった。しばらくして、その森閑とした大気のどこかしらから人声がきこえて来た。かすかだった人声は次第にたかまり、やがて早足に歩く跫音がおこり、やがてかたまって駈けまわるとどろきになって来た。君たちは、話すことができる! 君たちは話すことができる! そういう歓喜の叫びが穴ぐらの底までつたわって来た。樽は、幾年ぶりかで穴ぐらから外気の中に運び出された。ほこりをかぶった樽の栓がぬかれた。樽はむせび鳴りながら自身のなかみをほとばしらせた。日光にきらめき、風にしぶきながら樽からほとばしる液体は、その樽の上に黒ペンキでおどかすようにかきつけられていたPoison――毒ではなかった。液汁は、芳醇とまではゆかないにせよ、とにかく長年の間くさりもしないで発酵していた葡萄のつゆであった。
「播州平野」と「風知草」とは、作者が戦争によって強いられていた五年間の沈黙ののちにかかれ、発表された。主題とすれば、一九三二年以来、作者にとってもっとも書きたくて、書くことの出来ずにいた主題であった。この二つの作品は、日本のすべての人々にとって忘却することのできない治安維持法と戦争のために犠牲とされた理性と善意のために捧げられる。生けると死せるとにかかわらず、この二つの悪虐な力によって破壊を蒙った人間性の恢復と未来の勝利のためにささげられる。二つの作品には自然発生的な萌芽として、新しい日本の人民生活の文学の端緒と、現代文学が私小説から脱却してゆく可能の方向及びこれからの日本文学が実質的に世界文学の領野に参加し、そこでになってゆくべき現実の性格などについて、示唆をふくんでいる。