宮本百合子その2

 眠った家々の屋根や、動かない樹々の重い梢々が、高い透明な大空の穹窿(きゅうりゅう)の下に、見えない刻々を彫みながら、少しばかりずつ、地殻の彼方へずり落ちて行くような感じを与えた。樹蔭の闇から月光を反射する窓硝子や扁平な亜鉛屋根の斜面が不思議に悒鬱(ゆううつ)な銀色で、あたりの闇を一層際立たせ、同じような薄ら寒い脊骨を刺すような光線は土に四本並んで這う鋼鉄の線路からも反射しているのである。線路の傍に小さく建った番小屋の傍まで来ると、今までWに体を持せかけるようにしていたマーガレットは、急にぱっちりと眼を見開きながら身を起して、
「好い月ね」
と云った。広い鍔の陰から、丸い顎を仰向けるようにして朗らかな天を仰だ眼を落すと、彼女は、ちょっと眉を顰(しか)めるようにして、彼方に光っている鈍銀の窓々を見た。
 静かな晩――W、汽車は大丈夫?
 マーガレットのこの質問は、決して無意識ではない、彼等はもうさっきから、軌道(レール)の上に響いて来る、重い威圧的な機関車の音を聞いていたのである。Wはちょっと頭を廻して提灯の灯ほどに見える赤い前燈(ヘッドライト)と踰(こ)ゆべき軌道の幅とを見較べた、が、それだけの注意さえ、このときの彼には何となく滑稽に思われたほど、動いて来る燈と軌幅との差は大であった。不安を持とうにも、持ち得ないほど大きな差である。自分達の若い、健康な四本の脚が、この悦に満ちた晩に、どうしてこのたった五尺前後の空間を横切れないことがあろう。彼は、マージーの臆病を揶揄(やゆ)する少年のような声を挙げて、高々と笑った。
「大丈夫さもちろんマージー、さあ行こう」
 Wに腕を扶けられながら、彼女はまたちょっと頭を傾けて彼方に流眄(ながしめ)を与えると、そのまま良人の自信に絶対の信を置いたような歩調(あしどり)で動き出した。そして、ファミリアな無関心の二三歩を踏んで、その次を運び出そうとした瞬間、彼女は小さい声で、
「おや」と云いながら、前へ行こうとした良人の腕を押えた。
「どうした?」
「ちょっと……」
 マージーは、彼に委せた右の腕にグッと力を入れながら、体を浮かせるようにして、不自然な形で後方に残った左足を前へ引こうとした。
「どうしたのマージー」
「踵(かかと)が挾まったらしいの」
「踵が挾まった? どこへ」

 これまで、日本のすべての人は、食べるということは、自分の力で、云わばめいめいの分相当に解決してゆくべき「わたくしのこと」として教えこまれ、習慣づけられて来ました。とくに、そのやりくりは、主婦の責任という風に考えられました。人間が、どう食べているか、ということが、一つの社会にとって重大な問題であるという、公の立場から考える習慣はもっていません。そう考えるのは、社会主義のものの考えかたであるとして、むしろ取締られて来ました。

 食物の問題を、この社会にとっての公の問題としてとりあげれば、処罰されかねなかった習慣の中で、物が無くなったからと云って、どうして急に、その解決だけを、公の方法に立ち、社会全体の規模から、解決してゆこうという気持になれるでしょう。本来は、公ごとであるべき、食べることの問題を、こっそりとして、侘しい「私ごと」、女の台所の中のこととして来た、公私さかさまな習慣が、今日のところまで食糧事情を悪化させて来た一つの動機でさえあるようです。

 目下の日本で、最も切迫した公の問題は、食糧危機をどう突破するかということですが、代議士たちの大多数は、これに対してどういう態度をとっているでしょうか。つい先頃の総選挙のとき、三合配給などを公約した候補者について、選挙が終ってからすぐ、新聞社が、三合配給の公約をどうするか、という題目で質問しました。すると、三合配給の公約はしない、現在二合一勺を確保すると云っただけだという答や、「俺は知らんよ」と、まことに鷹揚な首領の返事や「それは落選候補の公約であった」という名回答もありました。

 日比谷の放送討論会などの席上では、大変賑やかに食糧事情対策が論ぜられます。野草のたべかたについての講義――云いかえれば、私たち日本の人間が、どうしたらもっと山羊に近くなるか、とでも云うようなお話まで堂々とされます。これは公の席で、公の議論としてされているのです。

 もし、今日の食糧事情が、真に公の問題としてとりあげられているならば、政府はどうして土地問題の解決というような、根本の、公の方法から、徹底させてゆかないのでしょう。一人一人の財布ではもう背負い切れない負担である「わたくしの方法」買出しに打開策をまかせてみたり、又おどろいてやめさせたりばかりしているのでしょう。
 真に公の声である全日本の人々の、生きて働けるだけ食べられるように、という声に心を合わせて、人民が自分たちで責任をもって食糧の管理をやって見ようという、公の方法に、賛成しないのでしょうか。
 ここでも、公のことと、私のこととが全くさかさまになっております。

 朝子と素子とヴェルデル博士と三人で、二哩ばかりはなれた野の中に建っている廃寺へ壁画を見に行って、ぐるりとその堂の裏手へまわったら、思いがけない灌木の蔭でその技師とエレーナと腕を組み合った散歩姿で来るのに出くわした。どっちからも、もう避けることが出来なかった。するとエレーナがはしゃいだ高調子で、
「思いがけないこと!」
 そのまま真直近づいて来た。
「お邪魔になりまして?」
 ヴェルデル博士は黒い帽子の縁にちょっとふれて、極めておだやかなうちに一抹の苦みをもって、
「私には誰が誰の邪魔をしたか分りませんよ」
 技師にも会釈して、こちらの一行は行きすぎた。そんなこともあった。
 土曜、日曜には、全くちがう若々しい波が停車場から溢れ出て、美術館を中心の一公園から街路から一杯になった。下宿の露台から見える公園の入口の歩道の上には向日葵の種売り、林檎売り、揚饅頭売りが並んだ。終日、髪をプラトークで包んだ若い娘たちや運動シャツにちいさい高架索帽を頭にのせた若者、赤いネクタイをひらひらさせた少年少女が列をつくって通ったり、二人三人づれで行ったり来たりした。空気は微かに鼻をくすぐるように暑く埃っぽくなって、声量のある笑声や歌声、叫び声や駆ける跫音などがその中へ溶けた。
 朝子は露台から長い間そういう光景を見ていた。その溌剌とした、粗末な服装をした若者たちの動きのなかには、いかにも朝子の情愛をひく何かがあった。見ているうちに、急に涙がつきあげて来ることもある。若い保がもっていたそのような単純な気持のいい身振り、そのような罪のない大笑いがそこにあった。生きて、無心にそこに溢れているのであった。保は死んだ。何たる思いだろう。